資産は増やせても、若い時間は増やせない
将来に備えて働き、支出を抑え、余ったお金を投資する。それ自体は合理的です。資産が増えれば、仕事を選びやすくなり、突然の支出にも対応できます。
ただし、資産が増えていく間にも時間は過ぎます。若く健康で、長く歩けること。知らない場所へ気軽に出かけられること。予定のない一日を、自分のためだけに使えること。これらには期限があります。
お金は将来へ送れる。しかし、今の年齢と健康は将来まで保存できない。
老後の余裕は、今の時間と交換されている
老後に十分な資産があれば安心できます。しかし、その資産を作るために、若い時期の旅行や休息、人と過ごす時間を何度も先送りしているなら、私たちは何と何を交換しているのでしょうか。
年齢を重ねてから時間とお金に余裕ができても、同じ旅行を同じ体力では楽しめないかもしれません。家族の事情や介護、自分の健康によって、自由に動けるとは限りません。老後の1,000万円で、30歳の一年を買い戻すことはできません。
なんでもやりすぎはよくない
節約も投資も労働も、適度であれば生活を支えてくれます。しかし、なんでもやりすぎはよくない。むしろ悪になり得るケースも多いと思います。
将来の不安をなくすために現在を削り続けると、資産形成そのものが目的になります。残高は増えているのに、使える時間、健康、人との関係、経験が減っているなら、それを本当に豊かになったと呼べるのかは分かりません。
備えをやめる必要はありません。ただ、最大化する必要があるのかは別の問題です。
すべてを自分だけで備えなくてもよい
将来のリスクをすべて自分の資産だけで解決しようとすれば、必要額には上限がなくなります。長生き、病気、介護、物価上昇、制度変更。すべてに一人で完全に備えることはできません。
人や公的機関を信頼してみてもいいかもしれない。年金、健康保険、介護保険、各種給付は完全ではありませんが、私たちが一人ですべてを抱え込まないために存在しています。
家族や友人、地域との関係も同じです。誰にも頼らず暮らせる資産を作ることだけが安心ではなく、必要なときに相談できる関係や、制度を利用できる知識もまた備えの一部です。
最大額ではなく、必要額を決める
資産形成に終わりが見えないのは、「いくらあれば十分か」を決めず、多ければ多いほどよいと考えてしまうからです。
考えたいのは、次のような問いです。
- 老後の生活費から年金を引くと、実際の不足額はいくらか
- その不足額に備えるため、最低限いくら積み立てればよいか
- それを超えて働く時間を、今の経験へ移せないか
- 資産以外に、制度や人との関係で備えられることはないか
必要な生活費と積立額が分かれば、収入を最大化し続ける理由は弱くなります。年収を上げることではなく、必要な生活と投資を維持しながら、自由な時間をどこまで増やせるかを考えられます。
若く健康な時間を、自分に返す
私は、もっと時間を取って旅行をしたり、自然を感じたり、何かを生産するためではない時間を若いうちに使いたいと思っています。
それは将来を考えないということではありません。将来に必要な分は備えながら、今しか使えない時間も残すということです。
働き方を見直すことは、仕事を拒むことではありません。どこまで働けば十分なのかを考え、将来と現在のどちらにも時間を残すことです。
いくらまで資産を増やせるかではなく、どこまで備えれば、若く健康な時間を自分に返せるのか。その境目を考えていきたいと思います。