本当に、みんな働くのが好きなのか

多くの人は、実は労働が嫌いなのではないかと思うことがあります。

もちろん、何かを作ること、人の役に立つこと、考えること、体を動かすこと自体が嫌いだという話ではありません。問題は、勤務時間、出社、評価、責任、上司や顧客との関係、生活費のために断れない状態まで含めた雇用労働です。

「お金のためだけに働いているわけではない」「楽しいから働いている」という言葉もあります。たしかに、そういう人もいるでしょう。ただ、資産家や経営者の多くが、十分なお金を得ると勤務労働から離れていくこともまた事実です。

それを見ると、私は「お金があってもみんな楽しいから働く」という意見には懐疑的です。もし本当に勤務労働が楽しいなら、なぜ多くの人は時間や場所や人間関係を自分で選べる立場へ移ろうとするのでしょうか。

仕事が好きなのではなく、生活のために仕事から離れられないだけではないか。

労働を完全には避けられないとしても

とはいえ、今すぐ労働を完全に避けることは難しいです。私たちは雇用されています。家賃を払い、食費を払い、社会保険料や税金を払い、将来にも備えなければなりません。

だから、現実的に考えるべきなのは、労働をゼロにすることだけではありません。労働への依存を薄くすることです。

たとえば、生活費を下げる。投資をする。短期のアルバイトで生活防衛資金を作る。副業で収入源を増やす。週5日から週4日へ移れる余地を探す。職場との関係を、自分の人生の中心ではなく、生活を支える一部として位置づけ直す。

完全に抜け出せなくても、精神的な負荷を薄くすることはできます。目標額や終了日を決めるだけでも、出口の見えない労働とは少し違ってきます。

追加労働が自由を遠ざけることもある

一方で、投資のため、副業のため、将来の自由のために、今の若い時間を疲れ果てた状態で使い切ってよいのかという問題があります。

平日は本業で消耗し、土曜はアルバイトをし、夜は副業をし、残った時間で投資やキャリアを考える。たしかに資産形成は進むかもしれません。しかし、その生活の中で、自分は何を感じ、誰と会い、どんな経験をしているのでしょうか。

若い時間は後から戻りません。体力があり、感情が動きやすく、知らない場所へ行きやすく、人との関係を作りやすい時期は、資産残高のように保存できません。

将来の自由を買うために、今の自由をすべて売ってしまうなら、それは本当に自由へ向かっているのか分からなくなります。

家族を持つと、意思決定はさらに難しくなる

一人であれば、働く量を減らす決断は自分の生活費と不安の問題で済むかもしれません。しかし、家族を持つと話は複雑になります。

自分の時間だけでなく、家族の生活、住む場所、教育費、介護、相手の働き方にも影響します。自由を求めることが、誰かに負担を押しつける可能性もあります。

だからこそ、早い段階から考えておく必要があります。どれくらい働けば十分なのか。どの支出は必要で、どの支出は労働を増やしているだけなのか。家族とどんな生活をしたいのか。

決めることが増えてから考え始めると、選択肢は狭くなります。

キャリアより、経験や感情の方が大切かもしれない

私たちはよく、キャリアを作れと言われます。市場価値を上げろ、スキルを積め、年収を上げろ、空白期間を作るな、と言われます。

しかし、人生に本当に必要なのはキャリアなのでしょうか。

もちろん、生活のために仕事の経験やスキルは必要です。ただ、それが人生の中心であり続ける必要はないと思います。大切なのは、人やコミュニティとの関係、知らない場所での経験、感情が揺さぶられる瞬間、何も生産しない時間を持てることではないでしょうか。

仕事が人生の大半を占めるのは、やはりおかしいと思います。1日8時間という単位も粗すぎます。集中が必要な仕事も、待機が多い仕事も、人と話す仕事も、創作する仕事も、すべて同じように8時間拘束されるのは不自然です。

仕事がない日なら、出社せずに休みでよい。成果が出ているなら、拘束時間を減らしてよい。そう思うのは、それほど極端なことではないはずです。

私たちは、出口の見えない解決策を探している

残念ながら、私たちはいま雇用されています。完全に自由ではありません。生活費のために働き、将来の不安のために備え、職場との関係を保ちながら毎日を回しています。

それでも、今の状態をそのまま受け入れる必要はありません。働き方を変える。支出を下げる。資産を作る。週5日を疑う。副業やアルバイトを期限付きの手段にする。仕事との距離を取り直す。

どれも一発で人生を変える解決策ではありません。けれど、労働への依存を少しずつ薄くすることはできます。

私たちが気づく必要があるのは、人生は一度しかないということです。今この瞬間はもう戻りません。将来の安心も大切ですが、若く健康で、感情が動く今の時間も同じくらい大切です。

脱労働とは、ただ仕事を辞めることではありません。仕事に人生の大半を明け渡す前提を疑い、自分の時間を少しずつ取り戻すことです。